藤村と私と夏

島崎藤村が好きだ。


そう言って、ああ、と曖昧な顔をして頷かれる。

いや、それはいい。

「まだあげそめし~」なら知っているよと恥ずかしそうに言われるのもいい。

要は、私はただただ島崎藤村の作品が好きなのである。


出会いは中学生の頃だったと思う。

『夜明け前』

その分厚い三巻の、埃臭い図書室で鎮座する威厳たるや!当時、日本近代文学に目覚めていた私は迷わずそれを抜き取った。

読み始めると、目を引くのは文章の巧緻。展開の流れ。次第に木曾の宿場町に私は引き込まれていた。翌日の英語の小テストは散々だったが、そのおかげでかけがえの無い物を得られたと思うのである。

それが文章への情熱とか、文芸への関心とか、そういったものであることは言うまでもあるまい。

そのままずるずると島崎作品(図書室にあった分)を読破し、自然主義の作品へと手を伸ばしたのだがこちらは性に合わなかった。読んだけれども。

島崎の自然主義も大概であるが、きっと私の眼には「島崎藤村フィルター」でもかかっているのだろう。それらは大変自分好みに感じられたのである。


それから、高校に進学した私は。


文芸部に入った。

ここにも一つのドラマがあるのだがこの際は置いておこう。

そこで沢山の文章に触れ、文芸に関わる本当の楽しさを知り、全国大会に出場することにもなった。

しかも、舞台は長野県。島崎藤村の聖地じゃあないか。



やはり全て繋がっているのだと感じた、私が自分で選び取ってきたこの道は何も間違っちゃいないんだと気付いた時の喜びたるや。


だから私は今日も島崎藤村が好きである。

半ば意地になっているようなところもあるが、好きなのだ。

藤波ゆらゆら

徒然、歴史がたり。

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